2008年1月21日月曜日

川西・満願寺かいわい

川西・満願寺かいわい

 天まで連れていかれそうな坂道だった。「マサカリかついで金太郎」とうたわれた坂田金時のものと伝えられる墓があると聞き、阪急宝塚線の雲雀丘(ひばりがおか)花屋敷駅から北西へ道なりに約2・5キロの山すそにある満願寺を目指した。

 一帯は名に負う豪邸街だ。サントリー創業家の佐治敬三、日中復交に努めたLT貿易の高碕達之助ら著名な故人や現役の大手企業社長の邸宅がでんと構える。

 80年前、近くにあった温泉施設に向け日本最初のトロリーバスが走った坂道を20分ほど歩くと青、黄、緑、橙(だいだい)色のカラフルな外観の箱形のビル群が見えた。フランス人が設計した宝塚造形芸術大の校舎だ。さらに約5分進むと、右手にうっそうとした森に囲まれた名刹(めい・さつ)、満願寺が現れた。

 四方は宝塚市。ここだけぽっかりと「川西市満願寺町」と川西市の飛び地(10・5ヘクタール)になっている。市教委によると、源満仲が拠点にして源氏発祥の地とされる多田神社(川西市)との関係が深かったためこうなったという。

 彼らは戦(いくさ)の前になると、奈良時代創建の満願寺に来て必勝祈願したという。満仲の息子、頼光に仕え、大江山(京都・福知山)の鬼を退治した伝説が残る坂田金時のものとされる高さ2メートル近い石造りの墓もある。満願寺周辺は多田神社があった多田村の飛び地から、54年の川西町、多田、東谷2村の合併でそのまま川西市になった。

 この飛び地には江戸から明治にかけて満願寺と農家数軒しかなかったが、1910(明治43)年の阪急花屋敷駅の開設と宅地開発で住民が増えた。町内に現在166世帯402人。周囲は宝塚市の住宅街だ。かつては子供たちがすぐ近くの宝塚市立長尾台小学校の倍以上も遠い川西市の小学校に通っていたため、両市に嘆願して特例で長尾台小に通えるようにした。

 嘆願に自治会長として尽力した満願寺の若田等慧(とう・え)住職(73)は元サントリー社員。「以前は檀家(だん・か)が数えるほどで、収入が少ないため父は教員を兼務していた。僕は後継するにしてもまずは会社勤めと思っていました」。芥川賞作家の開高健や直木賞作家の山口瞳が働いたサントリー宣伝部にいたこともある。23年前に父が倒れて退社、61代住職となった。

 人寄せに知恵を絞る。こどもの日に金時まつりを始めた。インターネット上のコラムは辛子がきいて好評だ。さすがサントリー宣伝部OBだ。(野口拓朗)


 〈満願寺〉高野山真言宗。8世紀初め、勝道(しょう・どう)上人が創建したと伝えられる。後醍醐天皇の勅願寺でもある。千手(せん・じゅ)観音など仏像5体が県指定文化財。【電話】072・759・2452【所】川西市満願寺町7の1

 〈雲雀丘花屋敷駅〉1910年の阪急宝塚線開業時にできた花屋敷駅と16年開設の雲雀丘駅が61年に統合。位置は花屋敷駅から西の雲雀丘駅側へ355メートル、雲雀丘駅から東へ少しだけ移った。13年開設の川西能勢口駅との距離はわずか1キロ。【電話】072・758・9806(川西能勢口駅受け)【所】宝塚市雲雀丘1の1の10

 〈きし〉午前11時半~午後2時、午後5時半~10時。月曜休み。名物のうな丼1470~3150円のほか、魚の刺し身、新潟の銘酒など。【電話】072・755・0548【所】宝塚市雲雀丘1の2の11

 〈Haku〉午後5時~12時。単品500~2千円、おまかせコース5千円、ワイン、酒、焼酎など。【電話】072・744・5391【所】川西市花屋敷2の7の7

 〈淡平〉午前10時~午後6時半。火曜休み。和菓子は1個125~260円。【電話】072・757・9796【所】宝塚市雲雀丘1の1の10

 〈明月記〉午前11時~午後3時、午後5時~10時。昼は弁当、懐石が2100円から、夜は4700円から。送迎バスサービスも。【電話】072・757・3411【所】宝塚市雲雀丘山手2の10の11

 〈宝塚造形芸術大学〉87年開校。学生数は2学部約2千人。教授陣に漫画家の松本零士さんら。【電話】072・756・1231【所】宝塚市花屋敷つつじガ丘7の27

出典:朝日新聞